Perfume「GAME」の評価(改訂版)

id:acidtankさんのエントリ。読めば読むほど頷かざるをえない。

Perfume GAME の失敗
http://d.hatena.ne.jp/acidtank/20080417

このエントリを踏まえ、現時点での評価をつれずれとメモ書き。

(最初の評価は→http://d.hatena.ne.jp/hiccough/20080415/1208271299

まず音について。

中田ヤスタカの魅力は、なにより曲がいいことだ。そして同時に優れた編集センスを持っている。優れたメロディに対し、既存の音楽の良いところ(それは必ずしも最先端でないし、最先端である必要もない)の引用を交えバランスよく編集、仕立てるところ。これは日本のよいポップスメイカーの正統的な系譜であって、例えば筒美京平細野晴臣ピチカートファイブフリッパーズギターなんかが挙げられるだろう。

ではGAMEはどうか。一部の曲が弱い。具体的なタイトルではplastic smile、GAME、Take me Take me、Butterflyの辺り。おそらく「最先端」「かっこいい」曲として持ち上げられる奴だ。曲が弱いので、引用した意匠ばかりが目につき、そしてそれは新しくもないので端的に言うと非常にダサい、そしてつまらない。これが深刻なのは、この曲の弱さが、「かっこいい」曲を作ろうとしたことの結果のように思われる所だ。個人的には今後絶対曲を取っていくべきだと思う。あぁTSPSいいよぉ。良すぎて死んじゃうよぉw

歌詞はあいかわらずいい、気がする。

最初は音楽だけじゃ満足できないのかなぁ、と思ってたんだけど、今は音楽以外の部分で補わないといいと思えないんじゃないかなぁ、と感じている気がします。

マブ論、タマフルでの宇多丸師匠の評価が楽しみだなぁ。


(追記)
僕はPerfumeを「アイドルなのに」こんなカッコイイ曲をやってる、と評価するわけではない。純粋にポップスとしていいと思っている。

Perfumeのテクノ、ハウス的側面は、今の音楽として聴けるという、ある意味で最低レベルを超えていると評価するにすぎない。その側面そのものが今の音楽として先進性があり、オリジナリティがあり、優れているわけではない。それはユーロビートの延長ではない、とか、ブレイクビーツを経た耳でも聞ける、とか、そういうことだ(中田ヤスタカの発言からすると、彼も自覚的だと思うんだけど)

あぁ、でも何度も聞くうちに違和感がなくなっていくなぁ。箸休めというか、間奏と思えばこれはこれで悪くない気がしてきた。手は抜いてないし、一般的に見れば十分高水準なのだから。でも確実に表面的には「かっこいい」音楽じゃない。そしてこれがチョコディスやTSPSを超えることは絶対ない。あの高揚感を与えてはくれないと思うのだ。

中田ヤスタカのスタンスはチョーかっこいいんだけどね。


(さらに追記)
あー、これも正確じゃないな。テクノ、ハウス的側面は最低レベルっていうのは言い過ぎ。彼はテクノ、ハウスの良い部分(僕の言い方だとポップな部分ということになるのだが)を適切に抽出している。特に見逃せないのはダンスミュージックの身体的な快楽の部分をきちんとわかっている、だろうということだ(近田春夫も言ってましたが)。でもやっぱりそれは、楽曲(メロディ、和音、構成)のクオリティがあってこそ光るものだし、それができているからこそ唯一無二のポップス足りえてるんだよなぁ。「最先端」っていう意味でのかっこよさなんてどうでもいいんだよ、要は。


GAME

GAME


(以下、最初に公開したんだけど、力みすぎ、あまりにも一般化しすぎのためボツ。恥ずかしい記録として残しておこう)


個人としての楽しみ方が自由というのは前提とした上で、一般論として「最先端」なものとして認知、持ち上げられるのには違和感がある。というかむしろ積極的に否定しなければいけないのではないかという気すらする。

なぜならGAMEを「最先端」と評価する態度は、GAMEを正しく評価しようとする姿勢に欠けるものだからだ。そしてそれは自意識過剰でくだらないJ-POPを肯定すること、「一般人にはどうせこんなレベルでいいだろ」という安易で傲慢なマーケティングのゴミを肯定すること、そういう作り手・レコード会社・メディアに与することと同義であり、それは結果としてJ‐POP市場がおもしろくなる可能性を閉ざすものだと思う。

今のJ-POP市場をつまらなくした原因の一つは、作品を正しく評価する仕組みがないことにある。商品が正しく評価されない市場では、競争原理が働かず、悪質な商品が淘汰されない。更に作り手側に良質な商品を提供しようとするインセンティブが働かない。そればかりか悪くすると品質とは別次元である「戦略的」「マーケティング的」思惑で商品が作られてしまう。その結果がクリエイティブやオリジナリティや驚きや、もちろん感動もない、非常に「想定範囲内」なつまらない商品ばかり。誰に向けて何のために作られたのかわからないという意味で、戦略、マーケティングとしてもお粗末な商品などは目も当てられない。

中田ヤスタカ自身、作り手はもっと真剣にいいものを作るべきと発言している。その心意気を酌む意味でも、聞き手もメディアももっと冷静に評価してもいいんじゃない?