小沢健二「ひふみよ」@中野サンプラザホール 2010/5/25

運良く先行予約が当たったので行ってきた。結論から言うと、手放しに、文句なしに楽しめたかというと、残念ではあったが、もちろん行って良かったし、いろいろ考えさせられた。

残念だったのは、やはり中途半端な感が否めないからだ。新たな小沢健二を見せるのか、昔の曲を現在演奏する意味付けをできるのか、観客が望むものを昔のままそのまま演るのか。彼がどれを選択するかということが、事前の興味であったが、結果的には、部分的にそのどれかであり、全体として一貫性や整合性、納得感があったとは思えない。それほど長い期間ではないが、毎回異なるものを提示してきた人であり、また最近まで全く活動停止していたわけでなく、マスコミには姿を現さないものの、数年毎に新作を出してきた人でもある。だからいろいろなファンがいるし、求めるものの幅も広いことは分かるのだが。もし観客が求めるものを考えた結果としてのこれなら、やはり正直残念な気持ちになる。

今後、彼に活動を本格的に再開して欲しいのか、というと、まぁ、どちらでもよい。今回のライブを見た限りでは、今のままでは現在に有効なインパクトを与えることができるイメージは湧かなかった。やはり、「過去の人」になってしまっていた。もし活動を再開するならば、できれば、今やる必然性があることで何らかの価値を提供してくれるといいな、ということと、今回のような、回顧的なライブをみっともなく繰り返すことはやめて欲しい、と思う。

  • 最初の演出はとても良かった。昔の曲に新たな意味付けをする方向で来たか!と思い、本当に興奮した
  • でも、詩の朗読が間に挟まれるようになり、そこで勢いが途切れてしまう。せっかく盛り上がる曲をやっても、そこで流れが止まってしまう。演出効果としては、これはいただけないだろう。詩の言葉、内容も、時折かなり萎えさせるものがある。詩の朗読を挟むのであれば、挟むタイミングや、曲のアレンジだってそれを考慮したものにするべきだろうに
  • そして、あの中途半端なメロディ、および歌詞の改ざん。完全にテンション下がる。誰が得をするのか。更に歌詞を改ざんするだけでなく、それを観客に歌わせようとするとは。またその改ざんに納得感が全くない。無粋だが、その意味を本人の口から説明すれば、まだ腑に落ちることもあるかもしれないが。観客は完全においてけぼり。僕には全く意図が理解できなかった
  • 本人の歌の不安定さはあいかわらずなのだが、全体的には若干低くなり、また暑苦しい方にシフトしていた
  • 何曲かあった新曲は悪くなかった。個人的には、日本民謡的な「シッカショ節」が一番良かったと思う。ホーンセクションのモダンなアレンジがUAを思い起こさせた
  • 演奏はどうかなー。会場やPAの問題かもしれないが、最近のライブバンドの高いレベルでの演奏を見慣れてると、正直しょぼいとも感じた。ボトムが弱いし。ま、テンポラリーなバンドだからしょうがなくはあるけど
  • ただ、やはり楽曲は素晴らしい。今でも時々聞くので、再認識というわけではないのだが。日常的な風景の描写から、普遍的な言葉へスッとスライドさせ、鮮やかに印象を残すその手法は、古典的とも言える。でも、そのそれぞれの言葉は10年たった今でも、10年、年をとった僕にも、同じような、時には異なった側面を見せながら、当時のように鮮やかで、魅力的で、(陳腐だけれど)生きるって捨てたもんじゃないな、とか、周りの人を大切にしようとか、そんな感情を何度も抱かせるものだった